今回の新型コロナウイルスに対して、中国では「清肺排毒湯(セイハイハイドクトウ)」という新しい処方が作られました。この処方は傷寒論(ショウカンロン)、金匱要略(キンキヨウリャク)中の、「小柴胡湯(ショウサイコトウ)」、「麻杏甘石湯(マキョウカンセキトウ)』、「五苓散(ゴレイサン)」、「射麻黄湯(ヤカンマオウトウ)」という処方に山薬(サンヤク)、霍香(カッコウ)などを加味して成り立っています。
傷寒論は、2000年前の中国の張仲景(チョウチュウケイ)という人によって書かれた漢方の古い書物です。張仲景の一族は200人以上いましたが、10年も経たない内に2/3が亡くなり、その内の7割が傷寒(感染症)で亡くなりました。その悔しい想いにより彼によって書かれた(正しくは編纂された)書物です。金匱要略も傷寒論と同じ中国の古い漢方書物です。
傷寒とは読んで字の通り、寒さに傷つき敗れるという意味です。傷寒論は、風邪の状態を『太陽病(タイヨウ)』、『小陽病(ショウヨウ)』、『陽明病(ヨウメイ)』。『太陰病(タイイン)』、『小陰病(ショウイン)』、『厥陰病(ケツイン)』の六病位に分けます。体内に感染した疾患は陽病期に治さないと陰病期に移行し最後は『厥陰病』となり死に至ります。
太陽病(表症)には、「葛根湯(カッコントウ)」、「麻黄湯(マオウトウ)」中の桂枝(ケイシ)や麻黄(マオウ)剤により、体の表面から汗を出して風邪を半強制的に追い出します。
小陽病(半表半裏症)には、「小柴胡湯(ショウサイコトウ)」、「柴胡桂枝湯(サイコケイシトウ)」などの柴胡(サイコ)剤を用い体力を高めて、体内に入り込んだ風邪をなだめながら出て行ってもらいます。
陽明病(裏症)には、白虎加人参湯(ビャコカニンジントウ)などを用い、風邪の激しい攻撃で疲弊し落ち込んだ体力を回復させながら、体の奥に居座った風邪を強制的に追い出します。
本来は、風邪は太陽病→小陽病→陽明病の道をたどるのが普通です。太陽(表面)から次第に小陽 (体内) に病状は進みます。そのために、まずは「葛根湯」もしくは「麻黄湯」で皮膚の表面から汗を出し、次に「柴胡桂枝湯」、「小柴胡湯」で残った風邪を納めるのが普通です。
しかし、インフルエンザのような強力な風邪は体表だけでなく、一気に太陽病から小陽病 (表面から体内) にそして陽明病(体の奥)まで進むことが多々あります。そのような場合、症状が激しく急速に進展し最悪の場合は厥陰まで進み死に至ります。
このことを、傷寒論では『合病(ゴウビョウ)』といいます。今回の新型コロナウイルスも一気に悪化する人が一部にいますが、2000年前の傷寒論の時代からこの合病の記載がありました。決して今回に限ったことではありません。それゆえに今回の新型コロナウイルスの、一部の人の急激に進む重篤状態の様子を見ると、太陽・小陽・陽明の三陽の合病と考えられます。そして、陽病期に留まらずにさらに一気に陰病期まで進行したものと考えられます。
そのような合病の処方として「柴葛解肌湯(サイカツゲキトウ)」という処方があります。「柴葛解肌湯」は太陽病の「葛根湯」と小陽病の「小柴胡湯桔梗石膏(ショウサイコトウキキョウセッコウ)」をほぼ合わせた処方です。
因みに、日本でも「スペイン風邪」が流行した時、浅田宗伯(アサダソウハク:江戸時代から明治時代にかけての有名な日本の漢方医。浅田飴の考案者でもある。)の弟子である木村博昭が、この「柴葛解肌湯」を使い「スペイン風邪」から多くの人の命を救いました。風邪の初期から「柴葛解肌湯」用い、風邪を陽病期(軽症・中等症)で抑え込んで効果を上げたものと思われます。
今回の新型コロナウイルスも、表症やそれすらない無症状の人も多いのですが、一部の人は合病となり、一気に悪化してしまいます。思うに、2000年前と今の人間、体の仕組みは何も変わってないということです。たかが2000年の歴史では人間の体の仕組みは変わらない、という証明でもあります。
今回の中国で作られた新型コロナウイルスの処方も、結局は傷寒論の太陽病と小陽病の薬を中心に作られた薬だと思われます。
新型コロナウイルスの場合、8割の人は軽症か無症状ですが約2割の人が発病し急速に症状が悪化し重篤化します。そのため高度医療に進むことが多く、実際問題としては一部の医療機関を除いては、日本では漢方治療を行う場面は少ないと思います。
『風邪は昔から万病のもと』と言われています。にもかかわらず、以前より日本では風邪を甘く見る風潮がありました。風邪を引かないための普段からの養生が大切ですが、それを甘く見る風潮が社会に限らず個人にもあるのが現実です。日本に限らず世界中で新型コロナウイルスが蔓延したのも、こういう風潮が一つの要因だとも思います。
明日は、本題の漢方補剤の話です。